間違いの指摘とストレス
間違いを指摘されたとき
脳波研究によると学問や修練の身につきやすさはその場の集中力はあまり関係せず「間違いを指摘されたときのストレスの度合い」に相関があるそうです。ミスをしたときに高いストレスを感じるかどうか、それをクリアしたいと思えるかどうかが大事ということです。
できない=自分の価値?
私はこれを聞いたときドキッとしました。私は小さいころから間違いを指摘されることにものすごいストレスを感じていたからです。塾で本当はわからない問題にみんなが手を上げているから自分も上げ、自信のなさが見透かされて当てられ、結局答えられなくて恥をかいたり。わからないというと怒られそうな気がしてわからない問題をそのままにしていたり。できる自信がないからそもそもチャレンジ自体しなかったり。何というかできない自分を認められなかったんですよね。できないことで自分の価値が下がると思っていました。最初はみんなできなくて当然なのに。
できるできないよりも
大人になって落ち着いて周りの人をみると、余裕がある人ほどミスすることと自分の価値は無関係と捉えているようでした。逆に自分はできない自分を勝手に卑下して認めていなかったんですね。できない自分はダサいと。でもそうじゃなかったんですね。我が子の成長過程を見ながらその間違いに気づきました。できるかできないかはそれほど重要ではなくて、やるかやらないかの方が大事だと。失敗を恐れてやらない方がダサいんだと。
わからない・できないは恥ずかしいことではない
それに気づいてからは生きるのが楽になりました。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」といいますが、わからないことを恥ずかしいとは思わなくなり、すぐに聞くようになりました。多分学習効率も上がっていると思います(笑)。