エゴと呼吸
思考は「私」ではない?
思考は自分ではありません。いきなりですが。「私が思考している」と聞いてもあまり違和感は感じないかもしれませんが、「私が血液循環している」と聞くとなんか変ですよね?実は思考も血液循環など身体の機能と同じく自分で行っているものではなく、勝手に起こるものなんです。「はあ?」って思いますよね。それくらい自分と思考や心を同一化している人が多いんです。
生存のためのシステム
思考が起こすものは常に未来への不安か過去のトラウマ。そしてそこから生まれるのは不安や恐れや焦りだけ。ただそれには意味があって、人類はそのシステムを使って危険を回避し生存し進化してきました。不安などの感情が起きると脳内で報酬系の物質が分泌されるともいわれています。つまりそれだけ生存には必要なシステムだったので、思考と「私」を同一化するのも無理はないですよね。
考えるな。感じろ。
ただここで重要なのは思考は自分が知らないことや過去に経験がないことは想像できないということ。かのブルース・リーは「考えるな、感じろ。」といいましたが、未来や過去を考えるより今を感じてこそ自分の求める未来が得られるのです。
思考とエゴ
もうひとつ。思考は常に他者と自分を比べます。自分にとって敵とみなした他者に対し、批判や非難をすることで自分の方が優れているように感じられるのです。まさにエゴですね。SNSではよく見かけますが。エゴは無意識なのでなかなか気づくことができないんです。でもそもそも他者との比較やジャッジにどれだけ意味があるのか。
今を感じる
エゴや思考を切り離した本当の自分は何者なんでしょう?考えても答えは出ません。今を感じなければ。今自分はどんな呼吸をしていますか?本当の自分はどんな呼吸をしたがっていますか?