使えていない部位を使えるようにする

「使えていない部位を使えるようにする。」

これってよく聞きません?かくいう当院でもよく使う言葉です。確かにね。大事なんですよ。使えていない部位を使えるようにすることは。なんでかっていうと、本来使いたいのに使えていない部位があるせいで身体に不具合が出るってことがまあまあ多いからです。見てると。

ですが、これっていうほど簡単ではないんですよね。というかはっきり言って苦しいです。だって考えてみてください。使えていない部位があるってことは、要するに動くうえでそこは必要ないと身体なり脳なり(多分脳)が判断しているってことですよね。いや、むしろそんな部位に意識すら通っていないといった方がいいかもしれません。

そこに意識を通していき、それだけでなく日常動作で使えるくらい反復して覚えさせていく作業です。覚えさせるというよりも思い出させるといった方がいいのかな?この作業、いまだに私もやりますが、とにかくきつい。そして地味。苦しい。

ただこれができてくると、身体や心のいろいろな問題が解決することが本当に多いの。だから心身に出た不具合は、「使えていない部位がありますよ」っていう身体からのメッセージだと思うんですよね。

私たちの普段の動作はオートマチックです。いちいち脚をこう動かして腕はこう振って・・・とか考えながら動いたりしませんよね。それまでに覚えた身体の使い方を脳がうまく組み合わせて動作をオートマチック化しているわけです。だから歩きながら音楽が聴けるし、食べながらおしゃべりができたりするわけです。

確かに便利ですし生活する上では絶対に必要な機能なんですが、実はこれが曲者でもあるんです。脳は自分にとって都合のいい部位ばかりを優先して使ってしまいがちなんですよね。これが身体にとって適切なパターンだったら何も問題はないのですが、その多くが不適切だったりします。おそらくそのパターンを繰り返すことで、トップ(脳)からの命令に対して身体が「ちょっと!」という問題提起というシグナルを送っているのが不具合だと思うんですよ。

そのまま脳の判断したままの動作をしてだましだましやっていくこともひとつの手ではあると思います。それでうまく日常が送れている方も大勢いらっしゃるでしょうから、その手をチョイスすることは全く否定しません。使えていない部位を使えるようにすることは苦しいしね。

そう。苦しいんですけど、その先には確実に「快適な暮らし」があるんです。私がよく思うのは快の中に不快があり、不快の中に快があるんじゃないかということ。快の中にどっぷりつかれば不快が見えてくるだろうし、一度不快の中を味わってみることで快が見つかったりします。その時見つけた快って本当に「快!」っていう感じなんですよね。

なんか感覚のお話ですみません・・・。

でも東洋医学でもよくいうんです。「陰中に陽あり。陽中に陰あり。」とか「陰極まれば陽になり、陽極まれば陰になる」とか。人生ってそういう波の繰り返しなのかもしれないですね。「若いときの苦労は買ってでもしろ」とか「かわいい子には旅をさせろ」とかいうのも、大人になってからの苦労を少なくするための諺だと思いますし。

だから「使えていない部位を使えるようにする」ことはちょっと大げさかもしれませんが、「人生を豊かにする」ことにつながると私は思っています。